ミンカブァンという韓国人女性

ミンカブァン(閔甲完 1897-1968)という韓国人女性をご存じですか。韓国ではほとんど忘れられた人ですから、日本でご存じの方は少ないと思います。その女性の自伝が50年ぶりに韓国で復刊されました。

カブァンの生涯は次のとおりです。( )内は陰暦-
——————————.,
1897年10月20日 カブァン、ソウル笠洞で生まれる(9月25日)
1905年11月17日 第2次日韓協約調印、叔父の閔泳煥、抗議の自殺
1907年3月14日 初揀擇の儀(2月1日、徳寿宮)、皇太子妃候補に
1908年1月23日 第2回揀擇の儀、婚約指輪が届く(1907年12月20日)
1910年8月22日 韓国併合される
1916年8月3日 イウンと梨本宮方子の婚約、日本の新聞に発表される
1918年2月13日 カブァンとイウンの婚約、破棄される(1918年1月3日)
1918年7月5日 祖母死去(5月27日)
1919年1月4日 父閔泳敦死去(1918年12月3日)
1920年4月28日 イウンと梨本宮方子、結婚する
1920年7月22日 カブァン、弟チョネンを連れ仁川を出航、上海に亡命する
1920年 東亜飯店[南京東路]に約3ヵ月滞在する
1920年10月 フランス租界宝裕里に移る
1921年(?) カブァンとチョネン、晏摩氏女中に入学。3年余り在籍
1924年初め 日本官憲の追跡を恐れ同校を退学、イギリス租界山海関路に移る
1928年10月22日 母死去(9月9日)
1932年 共同租界愚園路に移る
[年不詳] 共同租界膠州路に移る
1945年8月15日 太平洋戦争終結、朝鮮解放される
1946年6月 カブァンとチョネンの家族、祖国に帰国する
1946年 ソウル駅前大同旅館に滞在する
1947-48年 六親等の弟の家の離れに移り、約2年滞在する
1949-50年 妹マンスンの家に移り、数ヵ月滞在した後、寺洞宮に移る
1950年6月25日 朝鮮戦争勃発、清州に疎開
1950年 カブァンとチョネンの家族、プサンに移る
1953年7月 朝鮮戦争、停戦協定調印される
1962年10月 自伝『百年恨』出版される
1968年2月5日 チョネン死去(1月7日)
1968年2月18日 カブァン死去(1月20日)
——————————

Interpark(記述に一部誤りもあるが、本の概要を伝えている)

カブァンという韓国人女性は僕にとって特別な存在だ。長年、関連の資料や写真を集めてきた。復刊に際し校正作業を手伝い、写真約20点を提供した。

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