政治屋と国民

いまの日本に政治屋や選挙屋はいても政治家はいないのではないか。にも関わらず、彼らは政治家を自認し、天下国家について語り外交を語り、自分たちに都合の悪い高齢化社会が抱える問題や原発問題を含む環境汚染について語ろうとしない。選挙制度の改革にも着手しない。

何が身を切る改革だ? 政治家たる者、本来が公僕であり、国民のため市民のために自ら犠牲をいとわない者であるべきではないか。堕落した政治屋と彼らを支える国民市民が、意識無意識のうちに、この国のかたちを作っている。そして、僕自身もそのひとりである。

それにしても、なぜ日本の政治屋にはかくも知性がないのだろうか。僕を含む国民のなせる業なのだろうか。

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