箱根駅伝に思う

箱根駅伝は1920年に始まったそうだ。愚かな戦争を挟んで約百年続いている。いまや、正月になくてはならない恒例の行事になった。僕も毎年、テレビでみて応援している。

走者ならびに関係者のご尽力に深い敬意を抱きつつ、以下の文章をつづる。→箱根駅伝の簡単な歴史

ずっと気になっていることがある。中継車や監督・報道関係者を乗せたクルマが多過ぎるように思うのだ。長い歴史を有すればこそ、伝統に重きを置くあまり、既存の枠組みから脱することがむずかしいだろうが、一度見直してはいかがだろうか。

たとえば、伴走車の主たる機能は監督が走者に伝える指示であり、激励だろう。だとしたら、伴走車を走らせる必要はない。走者に超小型のデバイスを付け、監督とつなぐだけで十分ではないか。

こういうことを言うと、必ず既存の制作運営者ないし監督を含む人々、あるいは支援者から反対の声があがる。新たなスポンサーから熱烈な支持を得ると同時に、見返りとして、たとえばクルマに代わるスポンサーとして参入の申し入れがあるだろう。

ただ、クルマの台数が減ってすっきりした大会になるだろうが、それだけが最善かどうかはわからない。ここで必要なのは、クルマの台数を減らすことではない。応援者を含む大会を支える思想であり、その確たる基盤を持たない企業や支援者は時代のトレンドに流される。

それを考え提供できる者は誰か。既存の枠組みに囚われない新しい発想と支援基盤の持ち主である。そんなことを考えながら、ことしも箱根駅伝をみる。一方で、走者は孤独であるべきだとも考える。

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