『人生論ノート』を思う

10月初めに開かれた中学校の同期会に参加した友人から Z が病死したと聞いた。晩年は独居し、タクシードライバーをしていた。小学校のとき、よく一緒に遊んだ奴だ。同じ塾にも通った。彼が自転車に乗ったまま川に落ちた光景をありありと記憶している。

何年か前に二人で同級生をみまったが、その友人もとっくに死んでいる。あゝみんな死んでいくんだな、とつくづく思う。名簿では同学年の約8%が故人になっている。僕の中学校3年のときのクラスに至っては約18%だ。

三木清(1897-1945)が『人生論ノート』の冒頭に書いていた。50歳になって周囲の知人友人が物故者になることが増えたと。僕らは70歳にして人生論ノートならぬブログに立ち向かう。

『人生論ノート』青空文庫

One thought on “『人生論ノート』を思う

  1. shaws says:

    『人生論ノート』を読んだのは高校3年のころだったろうか。どこまで理解したか不明だが、いまの受け止め方とはまったく違ったものだろう。あらためて冒頭の一節を読むと、著者が繰り返し「死は観念である」と言っているのが引っかかる。はたしてそうだろうか。

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